へそくりが見つかってしまった場合
その家庭、自分に対して予算としての生活費を支給してくれている人に対してその「へそくり」が露見してしまった場合はどうしたらいいでしょうか。
これもそれぞれがおかれている状況、そしてその家計が抱える財務状況によって変わってくるものでしょう。もしも、その家計が逼迫している状態、たとえば「赤字」などの状態であれば、そのへそくりは接収されてしまうかもしれません。財務を管理している立場の人との関係も左右します。もしあなたが「稼ぎ頭」なのであれば、それを盾に「自分でやりくりしているのだからいいだろう」と押し切ることもできるかもしれません。逆に、主婦などで「養われている立場」なのであれば、「何に使うのか、遊ぶための金なのか」と問い詰められてしまうかもしれません。
どちらにしても、「へそくり」は見つからないことにこしたことはないのです。
それでも見つかってしまった場合、その状態を打開するための方法は相手によります。「節約して貯金していたんだ」というシンプルな言い分が通用する相手なのであればそれはそれで構いません。家計外のその竹材が公になるだけで、むしろその後もコツコツとお金を貯めやすくなるというものです。家計を共有する「家族」の中では、そのような隠し事などはない方がいいに決まっています。相手が寛容なのであれば、変に隠してしまうよりも「趣味のための蓄財だ」と打ち明けてしまう方がその後のためにもなるでしょう。
ですが、そういうわけではない場合、例えばそれが露見してしまうことで通常の予算支給がなされなくなってしまうようなことがあるのであれば、それは考えものです。ただ、その理由が「家庭の財政状況が逼迫している」ということなのであれば、そこは譲歩するのが「大人」かもしれません。ケース・バイ・ケースでしょう。
その後の信頼をなくしてしまう「言い訳」というものもあります。たとえば「会社から特別に支給された報奨金だ」といったところで、そのような明細がないのですから意味がありません。「知人から用立ててもらった」ということも、社会人としては恥ずかしいことになってしまいます。それは「実家の親から借りた」ということであっても同様でしょう。
明らかに「違和感」のある蓄財に対して、「違和感のある言い訳」で返してしまうと、どうしてもそこには「不信」が残ります。その場はしのげたとしても、その後のチェックが厳しくなってしまうかもしれません。例えば「いつかプレゼントを買うために用意している」などといってしまうと、本当にそのプレゼントを買わなければおかしくなってしまうのです。
ここで必要なことは可能な限り違和感のない「説明」です。違和感を極力なくすためには、「自然」である必要があります。「自然」であるためには、可能な限り「事実」に近い説明を行うのがいいでしょう。それは「節約して残した」、そして「何のために」ということも含めた「説明」です。