へそくりは隠すことに意義がある
「へそくり」を考える際、それを「オープン」にしてしまっては「へそくり」でもなんでもなくなるということは知っておきましょう。それが一時的な取り組みであれ、継続的な蓄財であれ、です。
お金の悩みというものはつきないものです。「もっとお金があればいいのに」と考えることは誰もがあります。もっと稼げれば、もっと充実した毎日を送ることができるのにと、誰もがそう考えるものなのです。ですが世の中というものは残酷で、人が稼ぐことができるお金というものは限られています。どのような仕事をしようと、無限に稼ぐことなどできないのです。限りある資産、限りあるお金だからこそ、私たちは「お金」に対して「貴重である」という認識を抱くことができるというものです。「油断すればすぐになくなってしまう」から、お金を大切にすることができるのです。
「へそくり」というものはそのような「お金」を自分が管理できる最少単位で節約して貯めていくことです。自分に充てられた予算から、自分の責任でそれをコツコツ貯めていくのです。だからこそ「意味」があります。だからこそ「価値」があります。全体の予算は変わらないのに、へそくりで貯蓄することで、「そのままでは買うことができなかったもの」に手が出せるようになるのです。へそくりをしなければ到底手が届かなかったようなもの、へそくりをすることで無駄使いをせずに買うことができるようになったもの、そのような体験を通じて、私たちは「やはりお金は大切だ」ということを知ることができるのです。
ただ、それが「人に知られている」状態であれば意味がありません。それを人が知っていると、たとえばそれが「家計を管理する人、家の財務を管理する人」が知っているようであれば、そのことによって支給される予算に「差」が出てきてしまうかもしれないのです。「一生懸命貯めているから、少し多めに渡してあげよう」などということになってしまうと、それだけで家計に影響がでていることになってしまうのです。家計に影響が出るということは、すでに「へそくりの分」だけで予算超過しているということです。それはトータルとして考えれば、へそくりをいつか何かに使ってしまうということであれば、「へそくりをしない方が家計の貯蓄は増えていた」ということになってしまうからです。
自分の責任で、自分だけの計画で、自分が許容出来る範囲の中で貯蓄をするということ、自分だけが知っているひそかな貯蓄、それが「へそくり」です。そのせいに特に何の影響も出ず、家計も通常通りに回転し、いつも通りの生活ができるということ、いつも通りの生活ができていて、そこに加えて少しへそくりの分「豊か」になれるということが「へそくり」の醍醐味なのです。犠牲にしたのは毎日のちょっとしたこと、犠牲にしたのは自分の「ちょっとした無駄使い」なのです。だから意味があるのです。だからへそくりには価値があるのです。