へそくりのため方

「我慢」することと「浪費」すること

無限にお金があればいい。誰もがそのように考えるでしょう。ですが、そのようなことはあり得ません。資本主義の中で平等に生きているのですから、無限の資産などは誰も持ち得ないものなのです。

「お金が欲しい」というのは資本主義においては誰もが望むことではあります。お金があればさまざまな悩みがなくなるかもしれません。「仕事」が楽しい人などという人は限られています。その仕事が楽しくてしょうがない、毎日が楽しくてしょうがないという人は限られているもので、誰かしら何かの悩みを持っているもので、「悩み」を解決するためには「お金」がかかる場合もあるのです。

お金が足りないということ自体が「悩み」である場合もあります。自分の収入では家族を養っていけないという事態に陥ってしまっている人も中にはいることでしょう。そのようなときは転職を考えるかもしれません。ですが、転職する際に「自分の就きたい仕事」が見つかるかどうかなどは誰にもわかりません。一般職についているような人がいきなり営業の仕事などは出来るわけではないのです。人には特性があって、向いていること、向いていないことがあるのです。

そのように心血を注いで稼ぐものが「お金」です。そのようなお金を「使いたい」というのは誰もが思うことです。後のことを考えず、一気に浪費してみたいと考えるものです。それが一種の「カタルシス」として作用するからでしょう。人は自分が欲しいもの、「持っていたい」と思うものを「欲しい」ものです。そのような「欲」が働くための原動力であったり、「明日も頑張ろう」と思える心の支えであったりするわけですが、そのようなモノを「買った」とき、私たちは爽快感にも似た感覚を覚えるのです。

そのような感覚がどうしても忘れられず、ついつい必要のないものを買い続けてしまうという人もいます。それが「浪費」です。「消費」とはまた異なる、ムダなものを買い続けてしまうという行動です。そのような行動に出る人の特徴としては「我慢することができない」ということが挙げられます。我慢することができないから、少しでも欲しいと思ったものを買い続けてしまうのです。そのような「浪費グセ」というものは「意志」次第でどうにでもなるはずのものなのですが、どうしても治らないという人もいます。意志が弱いのです。

そのようなことを「我慢」することで蓄財は可能です。そのためには、ただ「貯める」ということではなく「何かのために貯める」という張り合いが必要です。それは「へそくり」を貯める際にも同じことがいえます。いつも買っている缶コーヒーを「我慢する」ためにはなにかの理由が必要で、その理由があるから我慢できるようになるということです。そして、我慢を続けた結果、それが「普通」になれば、やがてそれは我慢ではなくなるのです。そのようになれば苦労せずに節約することができるようになるのです。そうなれば、目標金額を貯めることも難しくはないでしょう。

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