へそくりというものは限られた家計のなかで自分が自由に出来るお金を確保することです。へそくり上手は財務上手ということになります。
へそくりをうまく貯めるためには限られた資産をどのように節約していくのかということが鍵になります。へそくりは決して収入が多くなる方法ではありません。限られた収入、限られた資産のなかで、いかにして自分の財務的フリーケンシーを広げるのかという「節約」の考え方なのです。条件としては日々の支払いも変わらないということが大前提です。
「家計」というものはどのような家庭でも発生する家族の財務です。どのようなものにお金を支払って、将来のどのようなことに備えて蓄財をするのかという考え方です。どのような家庭でも考えるもので、社会に存在する財務の最小単位といってもいいものでしょう。社会通年的に「貯蓄」を行うことは常識的なことではありますが、それは例えば子どもの将来の学費のためであったり、自身たちの「老後」のためであったり、「備える」ということが基本的な考え方になります。備えることは私たちにとって「安心」を抱くことができるものです。
現代の社会では何事にも「先立つもの」としての「お金」は重要です。人並みに稼ぐことすら難しくなってしまった現代では、その収入をやりくりして「蓄え」を作ることもとても難しくなってしまっているのです。貯蓄するということで、その分だけ将来に対して備えを行うということなのですが、それすらも困難な人がたくさんいます。
ここでいう「へそくり」は、そのような貯蓄分も差し引いた上でのハナシです。貯蓄を差し引いた分からさらに自分が日頃自由にできるだけの余剰分を捻出しようというものです。これは家計の中で月にいくらまで、週にいくらまで、と使用することができる金額を定められた人が、どのようにしてそれを「残すのか」という考え方です。あくまでも節約であって、「稼ぐ方法」ではないということは、くれぐれも前提として捉えてください。
日頃当たり前のように使っていたお金、それまで「当然」と捉えていた「支出分」を改めて見直し、出費を抑えることで、自分の手元に残る分のお金を多くするという考えです。そして、その家計の財務の管理者に対して、「そのような蓄えはない」と「隠してみせる」ということでもあります。「隠す」ということも「へそくり」においては基本的な行動のひとつです。もしそれが財務の管理者に見つかってしまったら、「今よりも少ない予算で日々足りるのではないか」ということになってしまいます。そうすると支給される予算が少なくなってしまうかもしれません。だから「隠す」のです。
この「へそくり」の思想は世の中に「家計」というものが存在するようになってから必然ともいえるものです。所持している金銭は人の「可能性」です。どれだけのお金を持っているかということは、生活のフリーケンシーでもあるということなのです。